
私の周りの友人は堀江貴文さんのことを話すと、面白いように「好き・嫌い」がはっきり分かれます。逆にいうと、人に対してインパクトを強く与える人物ってことなんでしょう。
私は彼が「好き」なタイプに入ります。マスメディアに取り上げられるときはとても強い言葉を拾い上げられていますが、実際前後の文章を読んでみると、そうでもなかったり、何よりも「ゼロからの出発を楽しもう」というメッセージが好きです。
私も以前、教員をしており、教育に関しては深く悩みました。例えば高等教育ってなんだ。なんで学歴が必要なんだ。私がしていることは正しいか?
こんなことを毎日とりとめなく考えては疲弊し、自分を奮い立たせるという繰り返しでした。
今回の堀江さんの本は、「夢中になって何かをする力を学校が削っている」という主旨です。
私の経験から言えば、私が本気で勉強したのは大学に入ってからです。高校までは部活や友人と遊ぶのには夢中になりましたが、勉強は全然😵
数学なんて、8点を取ったこともあります

高校2年の終わりの冬、「世の中には偏差値というものがあるらしい」と、試しに予備校の試験を受けてみたところなんと国語・世界史・英語の平均偏差値38。ここから「自分はひょっとしたら勉強ができないのではないか」と焦り出し、受験勉強をして、なんとか神奈川大学中国語学科に合格しました。
ここからが本当の意味で勉強し始めました。とにかく中国のことについて知りたくて、専門授業やゼミ以外の時間はアルバイトづくしで、暇ができれば中国へ飛ぶ。という4年間でした。飽き足らず、1年間は北京に留学もできました。当時は中国では1ヶ月1万円あれば余裕で生活できましたから、物価が安かったのもついていました。

論文を書くときは色々な機関を取材し、慣れないワープロで、教授から何度もダメ出しをされながら書き上げました。大学には本当に感謝しています。
そう言った意味で、本当のゼロの私を鍛えてくれたのが大学でした。なぜ私が中学でも高校でもなく、大学で勉学に熱中できたのか、それは大学が私に強制することが一度もなかったからだと思います。
最近の大学では「保護者に出席をメールでお知らせ」「成績が振るわないと保護者面談」「論文提出必要なし」などの報道をよく聞きます。何か、「もったいないなぁ」と思う一瞬です

この本は「ゼロであることは恥ずかしくない。むしろ自由で開放的で、一つ一つ積み上げる作業がとても楽しく夢中になれるんだ」というメッセージが込められていて、とても元気が出ました。
ラベル:堀江貴文